《本コラムには映画の結末やストーリーに関する記述があります。》

さて、今回から「ふむふむシネマ」は「背景紹介 introduction」
「解説 commentary」「批評 review」の3回に分けて更新することにします。ちょっと春らしく新たな試みなのですが、もしよかったらこれについてもご意見・ご感想をください。
できるだけ皆さんの意見を多く取り入れながら、とゆうかコミュニケーションしながらやっていきたいと思うので。基本的には褒められて育つタイプではあるのですが、批判的な意見のほうがなかなか本人には聞こえてこなかったりして実はそのほうが貴重な意見だったりもするので、良かったらいろいろ教えてください。とかいいながら、評判が良くても戻すかもしれないし、評判が悪くてもこのままいくかもしれませんが(笑)。もちろん普通に読んだ感想等も、今まで通り募集していますのでこちらもどうぞ。

さて、映画館で見逃した「トニー滝谷」を家で、DVDで、見ました。なんとなくなのですがこの作品は逆に映画館よりもお家でゆったり見るほうが合ってい るかもしれません。できればすこし広めのリビングで(あるいは君の家のリビングが狭くてもぜんぜん気にするな!)、昼間にふつうに明るい状態で(あるいは夜でも真っ暗にせずダウンライトの明かりのなかで)、たとえば温かくておいしいお茶を飲みながら(あるいはサントリーモルツでも飲りながら)、ビスケットでもぽりぽりやりながら(あるいはピッツァトーストをサクサク齧りながら)、猫を膝に乗せながら(あるいは女の子の肩を抱きながら/男の子に肩を 抱かれながら)。もしかしたら、そんな風に見るほうがよいのかも知れないと、僕なんかは思いました。

「孤独でない自分に違和感を感じる」。
子どもの頃からあまりに孤独であることに慣れきっていた主人公「トニー滝谷」が結婚を機に孤独でなくなった途端、人生で初めて孤独になることを恐れている自分を発見する。「トニー滝谷」で描かれるこうした主題は原作者の村上春樹が得意とし、何度もかたちを変えて繰り返し小説に登場するテーマです。そしてそれは、チャンドラーやフィッツジェラルドなどのアメリカの都市文学と呼ばれるジャンルから受けた影響が大きいと思います。いま中国でも急速な都市化を迎え「村上春樹熱」という言葉とともに村上春樹の作品が中国の若者を中心に人気を得ているといいますし、アメリカでの評価ももちろん高く、ある書評では「ある領域においてはフィッツジェラルドを超えている」とさえ言う人もいます(これはいささか言い過ぎだろうと思うのですが)。いずれにしても近代化(=都市化)のなかで人々が感じる世界共通の疎外感や寂寥感を見事にすくい取っている。そういうことなのかも知れません。

そしてこの村上春樹の作品というのはなかなか映画化するのが難しいと言われて来ました。それは難解だからではもちろんなく、映像化が困難なSF的世界を描いているからでもありません。それは、あまりに強い村上春樹の作品個性が(あるいは文体個性が)どうしても映像化するのあたって足かせになってしまうからです。熱心な読者の多い氏の作品に対して、イメージにあう役者の設定の難しさも手伝っているかもしれません。 広告・CMの世界で名を馳せ、数々の優れた映画も撮っている市川準監督がこれに挑むという事を聞いた時には「ああなるほど、彼なら相性は良いかも」と思 い、高い期待を持っていたのを覚えています。ちなみに市川準について知らない方のために言っとくと「タンスにゴン」「禁煙パイポ」「三井のリハウス」な どを手掛けたCM監督で、映画作品では「BUSU」「大阪物語」「龍馬の妻とその夫と愛人」「ざわざわ下北沢」などの監督を務めています。 彼もスタイリッシュで都会的なイメージがあり、淡々とした語り口の中に、静かなる通奏低音のように、控えめだけれどこころに響く映像を語る作家です。

では、その市川準が、どのように村上春樹の小説、しかもあえて短編の小品を選んで、映像化したのか、そこのあたりを中心に、見ていきたいと思います。
では、また、あした。