《本コラムには映画の結末やストーリーに関する記述があります。》

さて今日はストーリー解説を中心にお話していきたいと思います。かなり具体的な記述があるのでこれから観ようという方は読まないことをおすすめします。良いですか?ではいきますね。すこし込み入っているので根気よくついてきてください。

第二次大戦最中のオランダ。ナチスドイツとレジスタンスの仲介役として交渉に当たっていた人物の日記帳「ブラックブック」から着想し作られた史実に基づく映画。ナチスドイツの占領下のオランダ。南部へと逃れようとする主人公・ユダヤ人歌手ラヘルは父と旧知の仲である公証人スマールのところへ赴き南部へと逃亡することを告げる。公証人スマールはラヘルの父上が彼女のためにとっておいたお金や宝石類を渡す。すると彼女は金額を数えもせず受けとる。「あまり他人を信用しないほうがよい」とたしなめられる。これは後々への伏線となっています。さて、ラヘルとその家族は他のユダヤ人家族らとともに、逃亡仲介者のファン・ハインの引率のもと船で川を下るが、待ちかまえていたドイツ軍によって乗組員全員が殺される。川の中へ飛び込んで危うく何を逃れたラヘルをのぞいて。家族を失ったラヘルは復讐を誓う。髪をブロンドに染め、名前もエリスと改名するなど、ユダヤ人であることを隠し、レジスタンス運動に荷担。軍内部へとスパイとして潜入する。さて、ここから民族や国家、思想、私欲が絡み合った、裏切りの応酬が幕を開けます。ちょっと図解してみましょうか。

こうした複雑な関係の中で、まずはナチスドイツの将校であるムンツェがエリスを早々にユダヤ人であると見破りながら彼女と恋に落ちそのことを軍に隠しつき合い続ける。つぎに仲介をやったファン・ハインが実はオランダ人でありながらナチスの手先でユダヤ人を売って金を稼いでいたことがわかる。その金はナチス将校フランケンがファン・ハインと山分けし軍に隠れて私腹を肥やしている。フランケンの部屋にエリスが仕掛けた盗聴器から、実はエリスがナチスの手先であったかのような会話が聞こえ、レジスタンスのリーダーで共産主義者・カイパースはエリスが二重スパイだったと疑いをかける(実はこれは盗聴器に気づいたナチス・フランケン側の謀略)。ムンツェは捕らわれたエリスを救いだしともに軍施設から逃亡を図る。そして終戦。形勢は一転する。父と旧知の仲である公証人スマールが実は逃亡仲介者のファン・ハインを動かしていたことがわかる。が公証人スマールは何者かに射殺される。その時彼がもっていたのが「ブラックブック」。裕福なユダヤ人のリストだった。射殺犯を追いかけて街へ出たムンツェとエリスは普通のオランダ国民に見つかり殴られ晒し者にされるなど手ひどい復習を受け連行される。そして連合国による戦後処理になぜかナチスの将軍でムンツェの上官であったカウトナーが協力し同僚であるムンツェの処刑を進言。ムンツェは銃殺されてしまう。さらにナチスにオランダを売った女としてエリスはオランダ国民から糞尿を浴びせられたり髪を切られたりムンツェ同様残虐な目に遭わされる。いっぽうで国外逃亡を図ろうとしたフランケンは船上でレジスタンスの闘士で元医師、戦後はレジスタンスの英雄として国民に崇められたハンスが射殺。そしてハンスはエリスを見つけだし彼女を救い出す。ところが・・・・。

これだけいろんな人物が登場しては裏切り、そして裏切られていくのに、まだ真の悪者が出てこない。このことが重要な意味合いを帯びてくるのですが、それは明日お話しするとして、こうした展開はまさにサスペンス映画の脚本としては出来過ぎであり、にも関わらず、そんなにムリヤリさ加減を感じさせないところも素晴らしいですね。民族、思想、国家などさまざまなレベルでの「対立項」が複雑に絡み合って、敵の敵は味方だけれど味方の敵は敵、みたいなかたちで、誰が敵で、誰が誰を裏切っているのか、わかりにくい構造ができていく。これは意図してそう作られているのは明白で、先の見えないサスペンスドラマとしてじゅうぶんハラハラドキドキしながら楽しめること請け合いです。
また、オランダのレジスタンスが正義で、ナチスは悪者、オランダ人は被害者で、ユダヤ人はかわいそうな人々、という偏った視点ではなく、むしろ正義と言う名の下に人類は殺し合いをしてきたのだ、というメッセージとも受け取る事ができます。そして共産主義者もでてきますが、当時は共産主義・社会主義はユートピア的なイメージで捉える人が多かった。しかしその本丸であるロシアはユダヤ人をナチスより以前に虐殺しており、それによって出来たのが、ちょうど映画の冒頭と最後に出てくるイスラエルにあるユダヤ人による社会主義集合体「キブツ」なのです。

こうしたヨーロッパにおける歴史や、思想、民族、国家観みたいなものがわかって(あるいはちょっと予習してから)観るともっと面白いと感じられると思います。それによってこの映画が単なる戦争を題材にしたサスペンスムービーとしてのみならず、戦争の本質や非常時における人間の醜さや弱さを描いていること、そしてオランダ人としてこの映画をどうしても撮らなければいけない理由が浮かび上がってくるからです。というわけでラストの明日は、ポール・ヴァーホーヴェンはなぜオランダ人としてオランダでこの映画を作らねばならなかったのか?ユダヤ人とオランダ人の関係は?最後のシーンに込められ意味は?などなどについて僕なりの解釈を書いてみたいと思います。
では、また、あした。