![]() 《本コラムには映画の結末やストーリーに関する記述があります。》
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今回は非常に批評がむずかしい映画です。そう、あの「大日本人」です。公開2週目のレイトショーだったにもかかわらずお客さんは満員で、レイトでこれだけのお客さんを見たのは自身久しぶりだったのでちょっと感動的でした。さて、今回は監督の意図を考慮して、ストーリーにはなるべく触れないようにしたいと思います。ただでさえ批評が難しい映画なのに、ストーリーに触れずに批評を行うというのは、じつは至難の業というかかなりむずかしい作業だと思うのですが、やはり映画自体がかなり特殊な映画ですし、批評もちょっとこれまでにないかたちでやってみようかと思います。ふむふむシネマを壊すつもりでやってみようかと。ま、そういうことです。
僕はこの映画を見てけっこうまずとても面白かったですし、笑えるところはかなりあります。「わかりにくい」という意見もあるようですが、むしろ僕はもうすこし説明を省いてもいいんじゃないか、と思うくらい観客にわかりやすく作っている箇所が多く見られたので、そのへんは良心的というと語弊がありますが、ひとりよがりな笑いにはしていません。
まずこの映画は大きく3つのパートで構成されています。1つは大日本人である大佐藤大(だいさとうまさる)へのインタビュー形式によるドキュメンタリーパート。そして大佐藤が変身して巨大化し怪獣と闘うCGパート、そしてラスト15分の実写パートです。この3つは、ある意味「フリ、フリ、オチ」みたいな構造になっているといって良いだろうと思います。笑いの黄金パターンですね。そういう意味で、自身「今回笑いのレベルは5段階で2にしてる」というように、たくさんの人にわかってもらえるようにはしていると思います。
さて、今回はまずドキュメンタリーパートについて語りたいと思います。このパートではわざとカメラをぶらしたり、それから大佐藤が街を歩いてる途中で物語になんの関係もなく傘屋を一瞬のぞいたり、セリフの中途で切れたり、セリフが聞こえなかったり、カメラの前を人が横切ったり、エキストラがカメラを見ていたりと、あの手この手で「臨場感」というか「ガチ」の雰囲気を出しています。これに対して「編集が失敗している」とか「監督の才能がないのでは」とかの批判がありますが、監督がわざとやっていることは明らかです。というのもこの人は、ボケでありながらツッコミの天才なのですね。これ映画のいわゆるクリシェに対するツッコミです。たとえば松本監督は撮影後のインタビューなどで「通常、人ってもっと速く歩いてるんですね。でもドラマとかコントだとゆっくりめに歩かないと見せたいところが見せられなかったりするんでわざとスピードを落としたりする。だからこの映画ではあえて普通の速度で歩いてたりするんですね」とか言ってたことでもわかるように「ふつうもっと歩くん速いやん」とか「そんなに人ってひとつの目的で歩いてないやん」とか「なんでこんなけ街歩いてて誰ともすれ違わへんねん」という、映画を観てる観客の目線で自分の映画で「つっこみ」をやって見せてるのだろうと思うのです。
ふだんは一般市民として生活している大佐藤は、怪獣が現れると国からの指令を受け、「電変所」と呼ばれる施設で巨大化するのですが、その際、変身の前に神道に似た古式ゆかしい儀式を執り行います。その儀式のシーンの撮影時。インタビュアーが松本監督の指示により、もともとの打ち合わせにないような質問を、神主役の人や電変所の職員役の人にぶつけます。その方々は半分素人なのでドギマギしながらもなんとかシーンを取り繕おうと、勝手なことをしゃべり出します。「こんな儀式はなくても実はいいんです」とか根本を否定するようなこととか。で。監督はそれをそのまま採用しているのです。現場では監督が笑いをこらえるのに必死だったという裏話もあるそうですが。それはもはや演技ですらなくて、ドキュメンタリーのようなコントのようなバラエティのような、不思議な空気感が、映像として映し出されています。これはもう独特の空気感と「間」です。松本監督が製作をしていた「働くおっさん劇場」という番組がありましたが、あれに近い感覚ですね。そして映画で言えば、この手法はイランのアッバス・キアロスタミ監督がやったドキュメンタリーとドラマの融合に近いです。役者が役として演じているのか、役者を追ったドキュメンタリーなのか、役を演じてる役者のプライベートを自分で演じているドラマ映画なのか、だんだんわからなくなっていく、というパターンです。この映画を知っていたのかどうかわかりませんが、知らずにやっているのだとしたら、僕は松本監督はかなりの才能の持ち主だと思います。まあ、もともとテレビでは脚本・演出・カメラ割りまで指示して作っているんだから、そうした工夫というのはもともと自分でやっていたんでしょうけどね。
ともかく、この手法を採用したことがこの映画チームにとって、大きな発見というかひとつの事件だったのではないでしょうか。このフリが最後のオチに大きく影を落とします。ヒーローのプライベートを追ったドキュメンタリーを撮るインタビュアーの目線で描くこと。撮影方法もアドリブとぶっつけでドラマとドキュメンタリーの手法を融合していること。このふたつが、このあとの物語の展開、とくに賛否分かれたラスト15分の内容に対してとても重要な意味を持つことになるのですが、それは後ほどくわしく語ることにします。 |