![]() 《本コラムには映画の結末やストーリーに関する記述があります。》 才能の差こそあれ、自身同じものづくりに携わる人間として想像するに、この映画を「ヒーローもの」にすると決めた時点で、このCGパートをどうするのか?というのは大きな命題になっていたことでしょう。なぜなら「ヒーローの私生活を追うドキュメンタリー」といういままでにない体裁である「ドキュメンタリーパート」を語るうえで、この「CGパート」での大佐藤がどう在るのか?はかなり大事な部分であるからです。まして「ヒーローもの」ですから、ここが一応は物語の舞台としての中心でなくちゃならない。それに松本監督はもちろんこの映画を笑える映画にしたいというコンセプトで作っていますから、ある意味「CGで笑いってとれるんか?」みたいなチャレンジもあったと思います。
さて大佐藤は怪獣が現れると国の指令を受け、電変所へ向かい巨大化します。この最初の怪獣「締メルノ獣」の登場でまず笑います。さらにはいよいよ大佐藤の姿が見えたときもけっこう大きな笑いが起きていました。このCGキャラクターのデザインも松本監督がしているようなのですが、これはけっこう難しかったのではないでしょうか。かつて松本監督が描いたマンガ「恐怖のキョーちゃん」というのが「ごっつええ感じ」で何回か流れてすぐお蔵入りしたという記憶があるのですが、あのマンガを思わせるキャラクターたちでした。で、この人には何かこうした「恐怖と笑い」という相反する感覚が強くあって、かつて桂枝雀も「笑いは緊張と緩和」という名言をのこしていますが、どこかそれに似た、ある種「孤高の天才」ではありませんが、独特の、それも突出していて、異様な、才能と感覚を垣間見るような気がしました。
その後も怪獣は登場しますが、海原はるか扮する「締メルノ獣」は地上げ屋、「睨ムノ獣」は環境問題、「童ノ獣」は幼児虐待、そして最大の敵「ミドン」は北朝鮮問題など、社会問題を批判的に扱うというようなことをとくに日本よりもフランスメディアから訊かれたといいいます。しかしまあこのへんはべつにそれ自体を中心にメッセージとして扱っているわけではないですし、そういう政治的映画でもありません。たまたま日本人のことを描こうとしたら、ネタとして出てきた、というくらいで考えておいたほうがいいでしょう。そこを深読みして突っ込んでもあまりなにも出てこないと思うし、そこの稚拙さを問うのもどーかと。「松っちゃんにそれ求めるか?」というのもありますよね。この映画を現代批判映画として観るのはちょっと無理があると思います。そういうネタが入ってるだけ、でしょう。
さて、このCGパートのメインである「戦い」部分は、面白いし笑えるのですが、後半、若干間延びして感じます。そこまでひっぱらなくてもいいのでは?と感じることもすくなくなく、睨ムノ獣などはとくにそうでした。ただ、ここにも実は監督の意図が隠れているように思うのです。僕らが見るハリウッドの良質ヒーローエンタ−テインメント、たとえば「スパイダーマン」などであれば、こんな間延びした部分はありませんし、むしろかなりのテンポで細かくカットを割り、CGの圧倒的な映像をスピード感たっぷりに、これでもかと見せつけてくれます。しかしそういうCG全盛映画にこそ「これは映画なのか?」という声が一方であるのもご存じでしょう。さらにはこれはCG班の仕事であり、CG班の名誉であって、監督の技量とはなんの関係もないシロモノである、ということも言えます。
それと戦闘シーンがすこし哀愁を帯びているのは、やはり大佐藤が置かれた状況もあると思います。世間には飽きられていますし、国からの給料も良くない(月30万くらいかな、あと手当とか含めて80万くらい?というくだりは笑えます)、お爺さんである四代目は認知症で特別養老ホームみたいなところに住んでいる。そのなかで大佐藤は日本のために戦っている。にも関わらず国民は誰も興味を示さないし、むしろマスコミに叩かれたり、怪獣への追悼集会が行われるなど、大佐藤は報われない。そういうドキュメンタリー部分でのシチュエーションが、間抜けだけど一生懸命戦っているCG・大佐藤への哀愁となって現れていきます。さきほど「恐怖と笑い」ということを書きましたが、こうした「哀愁」というのも松本監督がこれまでのビデオ作品やテレビコントでの笑いの中にも持ち込んできたものだと思います。というかもっといえばこの手法は、落語や新喜劇、ひいては江戸時代などの人情劇から受け継がれる、ある種のベーシックな笑いの一形態を最新CGでやっている、というこでしょうか。
ともあれ、映画はいよいよ佳境に向かいます。映画的あるいはCG的大スペクタクルな興奮もなければ、笑いもクスクス的なものは随所に織り込まれているものの爆発的なものではない。若干間延びもしているし、結末もほとんど見えない。このまま映画が進行していってほんとうに大丈夫なのか?こうした空気がほんのすこし館内を支配し始めます。逆に言うとずいぶん笑ったし、面白いし、楽しんでいるのだけれど、なにかこう、どこへ連れて行かれるのだろう?という不安というか、むしろ「松っちゃん無事着地出来るの〜?」という空気をひしひしと感じるようになっていました。僕は実は映画を観る前の予想として、たぶんかなり暴力的に終わるだろうと想像していました。もしかしたら大佐藤は壮絶に殺されるとか、あるいは国民からの不支持をうけて公開処刑にされるとか、そういう松本監督のダークサイドというか暗黒面が全開のエンディングで来るだろうと予想していたので、けっこう身構えていたのですね。しかし普通の観客はそんなことを考えてわざわざ観たりしませんから、きっと不安というか、このままなんとなく終わってしまうんじゃないだろうか・・・という風に思い始めたのではないでしょうか。そうしたある種映画館ではあまり感じたことのない、ライブのような、あるいはそれこそ映画を観ている我々を主人公としたドキュメンタリーを観ているような、異様な空気の中で、いよいよ、賛否分かれる、問題のラスト15分を迎えます。これについてはまた、後ほど語ることにしましょう。 |