Vol.17 ぼくの先生は (フィーバー!)
嵐を巻き起こす (フィーバー!) 『鈴木先生』
鈴木先生 武富健治 双葉社
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もうすでにいろんなところで取りざたされているこの傑作漫画、
『鈴木先生』。
皆がこぞってレビューや評論を残しているのだが、その面白さの核心に触れようとすればするほど、なんともぼやけた論評になってしまっていたりして、大変に苦戦しているようだ。
かく言う私も、この作品を紹介するにあたってどのように解説してみたものやらさっぱり分からない(じゃあ他のにしろよ)。
それくらい評するのに難しい漫画なのだ、これは。
鈴木先生とは中学二年生のクラスを担当している先生の名前。
歳はおそらく30手前、軽くウェーブのかかった髪、ふちなしメガネ、少々古臭いループタイといったいでたちで、生徒の受けは悪くない。
その彼のクラスで起こる、様々な事件を取り扱ったのがこの作品である。
その事件というのが凄い。
第一話のしょっぱなからして「げりみそ事件」である。
給食の時間中、とある男子生徒が突然ある時期から食器の中の食べ物をグチャグチャにかき混ぜたり、下品な言葉を発したり(カレー食ってるときに「げりみそ」とか)するというものである。
何故彼がそのような問題行動を起こすに至ったのか?
鈴木先生はこの問題を見事解決できるのか?
といったところが大まかなストーリーに当たる。
大人の感覚からすると余りにもどうでもいい瑣末な事件に思えるが、これが学校の一クラスという閉塞されたコミュニティの中での話となるとそうはいかない。
それは十分に重大で深刻な問題なのだ。
そもそもアナタならどうやって解決させる?
・注意したって聞いてくれない。
・理由を聞いたところで話してくれない。
・力ずくでやめさせることもできない。
・だれも傷付かず、とまではいかなくとも、その後に遺恨が残るようなことは避けなければならない。
…。
学校の先生というものはかくの如き大変な職業である。
夏休みが長くて羨ましいだけの存在ではないのだ(当たり前か)。
また、絵が劇画であることがこの作品を語る上で重要な点であろう。
線を重ね、陰影を付け、やたら深刻さを強調する。
学校の話なのに明るさが全くない。
生徒同士がじゃれあっている姿まで、その先にある不安や不幸を連想させる(言い過ぎ?)。
この作品が常にギャグ漫画の要素を孕んでいるのは、ひとえにこの絵のせいである。
ただでさえ時代錯誤も甚だしい劇画の絵に、起こる事件のくだらなさ(でもさっきも書いたとおり、当事者は必死)。
このギャップが、作品にえもいわれぬ面白さを付加していることは間違いない。
これを作者がわざとやっているのかどうか、そんなことは知る由もないが、そもそもは計算でなく、なるべくしてそうなったと考えるのが妥当なところだろう。
しかしながら、作者もそのギャップによる面白さには間違いなく気付いている。
そうでなければあのように執拗な描写はしない。
分かった上で、シリアスとギャグが交わるそのギリギリのラインを恐ろしく高いレベルで突っ走っているのだ。
(ところで全くの余談だが、その辺なんとなくビジュアルバンドのMALICE MIZERを思い出させる。彼らも音楽やパフォーマンスに真摯に取り組みながらも、その側面に笑いの要素があることをしっかり自覚していた。そして見る側にそれを許容させる度量を持っていたところなんか、私は常々好感を抱いていたものである。)
果たして、この漫画が昨今の学校の実態を正確に描写できているか?
自分が学生の頃はもうちょっと能天気だったような気もするが、学級崩壊、教師の威厳の失墜(ビンタくらい許してあげて)、イジメ自殺の頻発といった現状に至る流れを思い起こすと、この作品の得体の知れない雰囲気もさもありなんと言いたくなる。
学校という閉塞空間の持つ特殊性をクローズアップすれば、決してありえないものではないような。
ただ、生徒はさすがにちょっと大人び過ぎかなー。
なんせ彼らには中2病的なものが全く感じられない。
物語は今後、教師の性について突入していく模様。
鈴木先生は担任クラスの生徒に片思い中なのだ。
そこら辺についてはこれほど内面とリアリズムに突っ込んだ漫画にしてはまだまだ描写が甘い気がするので、今後のはっちゃけぶりに期待したい。
とにかく、このままいけば教師物として間違いなく漫画史に名を残すであろうこの作品。
最低でも単行本10冊くらいは続けて欲しい。
シチュエーションに困ったら、『佐藤先生』とか『高橋先生』とか適当に場所と名前代えて連作にするんでもOKよ。
4月21日