10.
彼は、考えた。必死になって考えた。
やっと出逢えた彼女に、最初に話しかける、そのひと言めのフレーズを。
彼女のその大きな瞳に、ちいさな戸惑いが生まれようとしていることに気付いた彼は、
一度ぎゅっと目をつむってから、思い切ってその最初の言葉をしぼりだした。
「…席、」
「えっ?」
目の前の、思いつめた顔をした初対面の彼に、
たったひとつの単語で突然話しかけられた彼女は、
言葉の意味をのみ込みきれずに、そのまま聞き返した。
「席、よかったら一緒に座りませんか。あそこ、空いてる。」
彼女が窓側に視線を送ると、彼が指差した先には、
ふたりが座れるちいさなテーブルがひとつだけ空いていた。
そして、彼女は真面目な顔で、こくりとちいさく頷いた。
コーヒーとサンドウィッチ(彼女も、きっとすきなのだろう)をのせた
トレイをそっと持ち、背筋をのばして歩いてゆく彼女の背中を、
なんともいえない気持ちで見送りながら、正直彼は困り果てていた。
「お客様、こちらでお召し上がりでよろしいですか?」
「あっ、はい。こちらでっ。」
見知らぬコーヒースタンドの店員にかけられる気のない言葉にほっとしつつも、
彼は現実と空想のこちら側とあちら側でぐるぐると想いをめぐらせていた。
こんな風に、面識のないひとに声をかけたのも、
気になっているひとに自分から行動するのも、生まれて初めての行動だった。
(しかも、こんな歳にもなって、だ。まったく。)
このあと、どんな顔をしてどんな風に彼女と話をすればいいのか、
彼は声をかけてしまったことすら後悔し始めながらも、
とにかくひたすら考え続けた。
しかし、カウンターで注文したコーヒーとサンドウィッチは、
何が哀しいのかあっという間に彼の目の前に差し出され、
店員の変わらぬ気のない笑顔に送り出された彼は、
何故か重い足取りで彼女の座るテーブルへと、ゆっくり、ゆっくりと歩き出した。