20.

とにかくよく歩く彼女にはうってつけで、
地元では有名なその川沿いの桜並木はひたすら長く続いていて、
さすがにそれに付き合う彼は着ていたジャケットを脱いで汗を拭うくらいだ。
適当なベンチを見つけては、短い休憩を何度かとった。

「あなたの話を聞かせて。」
そろそろ太陽が、西へと方角を変えようとしている。
またまっすぐに川の流れる方を向いたまま、彼女が不意に口を開いた。
「どんなところで生まれて、どんなふうに育って、ここへ来たの?」
彼は、彼女の言った「ここへ来たの?」というフレーズが、とても気に入った。
そう言われてみれば、意外にも、
これまでふたりでいる時は、彼女の話すことを彼が聞くばかりだった。
そのわりには、彼女の全体像は宙に絵を描いたように、
曖昧に彼の頭の中にぼんやりとしか姿を現さない。
彼が知っている彼女についての情報は、
名前と、携帯電話の番号と、だいたいの住んでいる場所、
バンドは手伝い程度なこと、大学を中退したこと、彼女の猫のこと、
そして、繰り返されるいくつかの表情やしぐさくらいのものだった。
彼女との今日までの、長く短い時間を、溜め息交じりで思い起こした。
少し考えてから、彼はゆっくりと話し始めた。

彼女がぽつりぽつりと話すそのペースや口調はとても穏やかで心地いいものだが、
それにも増して、彼女は聞き上手だ。
あまり話が耳に入っていないように、
空をぽかんと見上げながら聞いているかと思えば、
急に首だけを動かしてこちらをまっすぐに見て、
的確な質問や意見をする。
彼女のペースそのものが、
これまで誰にも入り込むことの出来なかった彼の胸の隙間に、
ぴったりとフィットするような感触がある。
その感触は、本当に胸に手を当てられるように、くすぐったい。
「要するに、あなたは、ひとりだったのね。」
唐突に、彼女は言い放った。
彼の、お世辞にも面白いとは言い難い、抑揚のない生い立ちや毎日の生活に、
さっくりと旗を立てるように。
そのひと言に観念した彼は、
もう冷え始めているベンチにくったりと全身を預けて、
彼女に見習って空を見上げた。
「そうなのかもしれない。」
ふたりの見上げる空に、優しい春の風が吹き、
薄い桜の花びらが次から次へと舞っている。
頭が、少しくらくらする。
自分でも気付かない振りをしていたことを、こんなにもあっさりと言われたことに、
ショックを受けたと同時に、なにか心が休まった気がした。
それは、隣に座る彼女もまた、ひとりなのだと感じているからなのだろうか。

またひとつ、少し強い風が吹き、
最後に残っている花びらを宙へと巻き上げた。
西へ傾きかけている太陽の光に透けて、
その花びらはまるで天から降りてくる何かに見えた。
「あ。」
同じようにベンチに身を預けて並んで空を見上げていたふたりは、
同時に短い声を上げた。
ふたりの別々の人生の、こうやって一緒に過ごしているほんのひとときに、
彼と彼女は、同じ光景を目にした。
眩しい光の中ひらひらと天から降りてくる白いものに、
束の間、ふたりは見惚れた。
そして、彼はごく自然に、
ベンチに置かれた彼女のちいさな手を、そっと握った。