例えば「鳥」とか「花」とか、書く字を選ぶにはきっかけのようなものがあるのでしょうか?

根っこにあるのは、子供の頃にやっていた、一週間に一回何か出来事を書いていたことだと思います。けれど、感情的に、例えば悲しいことがあった時に「悲しい」という字を書いたら・・・それは違 うかも知れない。自分の感情に溺れて、それを叩き付けるという表現もあると思うんですが、私はもう少し感情的ではなく、始まりが 日常の中の淡々とした出来事の中から見つける言葉を書いてゆくという方が興味があるんです。最初は見ているんです、何かの花を見て、どこかで花を見つけて・・・具体的に1つの花だけを書いているという訳ではないんです。絵や写真だったり、時間もばらばらで、 あの時の花、この時の花が幾重にも重なって、最終的には結局どの 花でも無くなる。そうなる前に書いてしまうと「あの時の花」にな ってしまうんです。「あの時」も大事なんですが、もっと先まで行くと、花という字に自分が本当に思っていた事が出てきたり、気付く事があるんです。

心の底で本当は思っていた事があるのに、早いうちに書いてしまうとそこにたどり着けない感じでしょうか?

たどり着けないというよりも、書き終えた気になってしまうんです。 「作品」と言ってしまいながら矛盾するようですが、迷って書いていないと、先が続かないような気がしていて。作品として、ひとつずつ節目はつけるんですけど、同時に迷ったままの時間がそこにあって、同居してる気がするんです。書けば書く程迷って行って、解らなくなるんですが、解らなくなる中でも、少し見えてくる時があります。今の花はこの花だって。ただ、それでも今の花としか言えないんですね。明日の花は違うかもしれない、今この時の花を書いているのだと思います。

逆だと思っていました。完成されて見えてきたものを、 書き付けているのかと・・・書いている時に完成された形のイメージはあるのでしょうか? 

それはあります。花という字には花という形があって、それは絶対的な物なのでどんなに迷ってもそこから外れる事はないですね。 例えば、”花”という広場があってそこから出て行く事はないけれど、その広場の中で迷い続けているような感覚かもしれないです。 何処に立つかの違いで、こっちに立ったらこんな物が見えたという 様な。ただその一歩をずらすことが、凄く怖いんですね。ここに立って書き続けていれば、1つの完成がこの場所で作られるかもしれない。けれどまだ別の場所に広さがある事も感じていて、そこに動 けるのかどうか、自分にずっと問いかけているように思います。

第四回に続く

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